こんにちは!
なおこです。
世の中、スーツが売れなくなっているらしいですね…。
「洋服の青山」などを含む紳士服大手4社の2018年度の決算では、いずれも減収減益だったとか。
参照:https://biz-journal.jp/2019/06/post_28324.html
スーツ離れや、温暖化もその原因に含まれるようでうす。
スーツは高価だし、着ていて窮屈というイメージもあるし、オフィスカジュアルが許されるならスーツには手が出なくなる…というのもわかる気がします。
そんなスーツ業界に風穴を開けた風雲児といわれるのが佐田展隆(さだ のぶたか)さんという方です。
オーダースーツSADAという会社の社長で、「高級テーラー波に体にフィットするのに激安」だというスーツが指示されているのだそうですよ。
今日は佐田展隆さんについて、学歴や経歴、結婚した妻はいるのか?などを調べてみました。
→この記事は、佐田展隆さんが出演した2019年10月17日の『カンブリア宮殿』を観て内容や感想も追記しています!
Contents
佐田展隆さんってどんな人?
プロフィールや学歴・経歴、結婚した妻はいるのかなどがわかりましたよ。
いよいよ本日、テレ東「カンブリア宮殿」に、オーダースーツSADAが登場!本日10/17(木)夜10時!https://t.co/yHD1Zrlp6D
激安オーダースーツで絶好調!業界に風穴を開けた風雲児が登場!
全国視聴可能局は下記参照https://t.co/trJAvnxD2S#カンブリア宮殿 #オーダースーツSADA #オーダースーツ pic.twitter.com/8rRY1W7z4f
— 【公式】オーダースーツSADA (@sandarsn) 2019年10月17日
プロフィール
名前:佐田 展隆(さだ のぶたか)
生年月日:1974年9月23日
年齢:45歳(2019年現在)
出身地:東京都 杉並区
職業:オーダースーツSADA代表取締役社長
尊敬する人:曾祖父
高校・大学
卒業された高校・大学がわかりました。
1994年、東京都立西高等学校 卒業
1999年、一橋大学 経済学部 卒業
小学校から高校までサッカーに打ち込んだという佐田展隆さん。
一橋大学には2浪して入学したのだそうが、その原因もサッカーばかりやっていたからなのだとか。
大学卒業後の経歴
大学卒業後の経歴は以下のように紹介されています。
一橋大学卒業後、東レに入社。
2003年、株式会社佐田入社。
2005年、代表取締役社長。
2008年退社後、11年7月佐田に再入社。
2012年、社長に復帰。
現在関東を中心に全国に直販店40店舗を展開。
結婚した妻や子供はいる?
佐田展隆さんはfacebookで既婚であることを明かされています。
妻と子供さん(女の子)と暮らしているようですよ。
スポーツが大好きな佐田展隆さんらしく、家族でスキーを楽しむ写真なども公開されてました。
オーダースーツSADAはどんな会社?
オーダースーツSADAについても調べてみましたよ。
今週はオーダースーツなのに激安でサラリーマンからアスリートまで支持を広げている「#SADA」高級テーラー並みに仕立ててくれて、19800円からという破格の値段!自社工場で設計や裁断を自動化し、コスト削減できるという。「迷ったら茨の道を行け」でどん底からの逆転経営に迫る。#野球 #サッカー pic.twitter.com/3yzK1Jfh4w
— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) 2019年10月15日
曾祖父が創業
オーダースーツSADAの始まりは1923年にさかのぼります。
1923年 大正12年に、佐田展隆さんの曾祖父である佐田定三さんが、米川本店より独立し、服飾雑貨卸商を開業。
その後、佐田展隆さんのお祖父さん、佐田茂司さんが2代目となりますが、太平洋戦争に徴兵され、会社のあった神田は焼け野原になってしまいます。
しかし、満州から帰還した佐田茂司さんは、羅紗(ウール生地)卸「佐田羅紗店」としてSADAグループを再建。
生地卸業から縫製業へ進出し「佐田被服工業」を設立。
現在は小売店である「工場直販オーダースーツSADA」を全国に53店舗展開するまでの企業グループに成長しました。
店舗はどこ?
前述したように全国に53店舗を展開しています。
スーツの特徴は?
オーダースーツSADAの商品の特徴は「高級テーラーなみのフィット感」でありながら「激安」という点です。
フィット感を実現させるために全身約20か所をスタイリストが採寸。
実際の高級テーラーなら、これをもとにした型紙(パターン)の作成や裁断、縫製を手作業でやるわけですが、それをやると当然値段は高くなりますよね。
そこで、オーダースーツSADAでは採寸後はCAD(自動設計システム)でパターンを作成、CAM(自動裁断機)で裁断。
縫製やプレスも分業化することで効率を上げているのも安さの理由なのだとか。
参照:https://www.ordersuit.info/reasons/machinemade/
値段は?
19800円からというのがオーダースーツSADAの謳い文句です。
選ぶ生地によって値段は上がっていきます。
以下が使用する生地と値段の一例です。
お試しオーダースーツ (ウール50%/ポリエステル50%)→19800円
スタンダード服地 (ウール70%/ポリエステル30%)→27800円
ジョンフォスター(ウール100%)→49800円
引用元:https://www.ordersuit.info/brand/
2019年10月17日の『カンブリア宮殿』で語った「どん底からの逆転経営」とは?
2003年に佐田展隆さんが株式会社SADAに入社したときには経営は「火の車」だったといいます。
今のように業績が好調になるまでにはどのような道のりがあったのでしょうか。
どん底からの復活とは
SADAがどん底から復活したと言われるようになった経緯をざっくりまとめました。
80年代後半バブル経済の頃、SADAは街のテーラーや百貨店などのオーダースーツの下請けとして急成長。
1990年、三代目社長(佐田展隆さんの父)が中国に工場を建設。
2000年、大口顧客だった「そごう」の経営破たんを受け赤字に転落。中国の工場建設の借金が残る。
父から頼まれて29歳の佐田展隆さん株式会社SADAに入社。
当時、年間売上22億円に対し、借金は約25億円という非常事態。
格安オーダースーツというアイデアを街のテーラーに持ち掛けても断られ、自社で販売店を展開することにする。
スポーツチームにスーツを無償提供することで知名度アップ。わずか一年で黒字に転換。
業界に「黒字化した」という噂が広まり、取引先や従業員から未払いを請求されるも、「黒字は黒字だが借金の利息を払うので精いっぱい」という状況だったため追い詰められていく。
2008年、投資ファンドへ会社を譲渡。佐田展隆さんは社長を辞任。
3年後、佐田展隆さんの元に「会社に戻って来てほしい」という連絡が。
2011年の東日本大震災で取引先が被災し、再び赤字に。投資ファンドも撤退していた。
佐田展隆さんが二代目である祖父の茂司さんに言われていたのが「迷ったらいばらの道を行け。それが正解だから」という言葉。
その言葉を思い出し、従業員に懇願されたこともあり、再びSADAの社長に就任。
2011年、旗艦店となる新宿店をオープン。
目標の倍売上、それを足掛かりに全国展開。
独自の取り組み
以下が、番組で紹介さえていたSADAの取り組みの一例です。
(製法などについては上に書いています)
◆プロ野球千葉ロッテマリーンズ、Jリーグ名古屋グランパスなどを含む15のプロチームにスーツを無償提供。
体の大きい選手たちは市販のスーツではサイズが合わないため、オーダースーツは必要不可欠。
SADAにとっては選手に来てもらう事で抜群の宣伝効果があるというわけでwinwinの関係なんですね。
◆佐田展隆さん自身が自社のスーツを着て山登りやスキージャンプに挑戦。動画をネットにあげて丈夫さをアピール。
◆路面でなくビル上に店舗を構えて家賃を安く抑え、スーツの料金に反映させる。
◆大手紳士服店がある場所にはスーツ市場があると判断し、あえて近くに出店する。
SADAの評判
肝心なのは実際にスーツを着た人のの評判ですよね。
お店に来ているお客さんからは「最高の着心地」「裏側の仕立てもいい」と好評でした。
更に、高級車ボルボの販売店を運営する「東邦オート」では、勤務するすべての営業マンにオーダースーツSADAのスーツを支給しているとのこと。
実際にボルボ販売店で働いている人は「営業職にとってスーツは武器。きっちり着られるかどうかで第一印象が全然違う。」と語ります。
そこに訪れたお客さんからも好評で、ボルボ販売店の支店長の方によると
「お客様のリピート率が高くなった」
「スーツを作ってから売上も前年比120%で増えている。」
というのです。