こんにちは!
なおこです。
「人生100年時代」とか言われていますよね。
なにその時代、いつから始まったの…という感じがしますが、定年を70歳にしようという動きがあったり、社会における高齢の人の役割に注目が集まってますな。
自分も将来、「老人」と言われる存在になっても仕事や友達に恵まれた楽しい人生を送りたいし、介護で子供に迷惑かけたくないなとか、夫もボケないといいなとか、老いてなお欲望は尽きない予感でいっぱいです。
赤坂育子(あかさか いくこ)さんは、79歳でありながら第一線で活躍する芸者です。
色気やつややかさ、細やかな気遣い、場を盛り上げる巧みな話術など、女性としても職業人としても最強のスキルを持つ赤坂育子さんとはどんな人なのでしょうか。
人生何年になるかは人それぞれでしょうが、これからの時代を生きるヒントが貰えそうですね。
※この記事は赤坂育子さんが出演した、2015年5月21日放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観て内容を追記しています。ぜひ、読んでみてください!
次回は、花柳界の生ける伝説 #赤坂育子 さん、79歳。若手が舌を巻く色気ある舞踊、座敷を盛り上げる巧みな話術で、数々の大物を「虜」にしてきました。この道62年、芸に人生を捧げた育子さんの生きざまに迫ります。
21(火)よる10時半~#NHK #プロフェッショナル#芸者 #東京 #赤坂 pic.twitter.com/BeBOKbgaIW
— プロフェッショナル仕事の流儀 (@nhk_proff) 2019年5月15日
Contents
赤坂育子さんの生い立ち経歴は?
生まれ:1940年(昭和15)
出身地:熊本市
2017年 旭日双光章を受賞
赤坂育子さんの芸の道は地元熊本市で始まります。
当時、高校に入って1カ月足らずだった赤坂育子さんはデパートでかわいい着物を来た2人組の半玉さん(芸者の見習い)を見かけ、彼女たちにお稽古の話を聞かせてもらいました。
勉強が嫌いだったのもあり、「いいな」と感じたといいます。
お母さんは既に亡くなられていて、お父さんに「半玉さんになりたい」と言うも許してもらえません。
そんな事があった翌朝、半玉さんに教えてもらった長唄のお師匠さんの連絡先を書き残して、赤坂育子さんは風呂敷一つで家を出てしまったのだそう。
すごい行動力!
ちなみにお父さんは一か月後に連絡をくれ、身元引き受け書類にはんこを押してくれたのだそう。
その時、「はんこ押すから一流になれよ」と励ましてくれたといいます。
その長唄の師匠に弟子入りし、芸者見習いの「半玉(はんぎょく)」となった後、1964年、24歳の時に上京。
以来、芸者として第一線で活躍しながら、現在は置き屋の主として若手芸者の育成にも力を尽くしておられます。
赤坂育子さんの若い頃の写真はこちら!
24歳で上京した当時は「赤坂一の美人」との評判を呼び、週刊誌の表紙も飾ったこともあるのだとか。
出典元:https://www.sankei.com/life/news/150721/lif1507210005-n1.html
こちらが若い頃の赤坂育子さんの写真です。
綺麗!!
女優さんみたいですね!
赤坂育子さんが虜にした大物顧客とは?
赤坂育子さんはお客様と会話が弾むように、おかまバーに通って勉強したのだそうですよ。
そんなおかまバー仕込みの話術もあってか、数々の大物をとりこにしてきました。
具体的には赤坂育子さんの顧客にはどんな人がいたのだろうと調べてみましたよ。
財政界ではないのですが、プロ野球巨人川上哲治元監督もその一人!
1920年3月23日 – 2013年10月28日
出身地:熊本県球磨郡大村
出身のプロ野球選手・監督、野球解説者
妻は元宝塚歌劇団娘役の代々木ゆかり
ノンフィクション作家の川上貴光は長男
川上哲治さんは同じ熊本出身という事で、赤坂育子さんを応援してくれたのだそう。
巨人が優勝した時は、必ずお座敷に呼んでくれたのだそうですよ。
いかに愛されていたかがわかりますね!
他にも、田中角栄氏さんや石原裕次郎さんにもかつて赤坂にあった「口悦」という一流料亭で贔屓にされていたそう。
まさに「大物」という感じのすごい面々ですね!
ジョブチューンで暴露してほしいです。
プロフェッショナル 仕事の流儀を観て
プロフェッショナル、赤坂育子さんの回も面白かったです!
赤坂育子さんを変えた苦い経験
赤坂育子さんは若い頃の苦い経験を経て、よりいっそう努力するようになったのだと言います。
それは、芸者として人気を博すようになったころ、ほかの芸者さんと一緒にお座敷に出た時の事。
お座敷を依頼したお客さんが先輩芸者に「育子だけはもう呼ぶな」と言っているのを聞いてしまいます。
それって、ものすごいショックですよね‥‥
なんでも、そのお客さんがもてなす相手である別のお客とゴルフの話をしていた際、赤坂育子さんは「ゴルフっていうのはこういうものですよね」というような話し方をしていたのだそう。
「そんなに失礼なことかな?」という感じもしますよね。
でも、赤坂育子さん自身あとから「言葉に意識が足りなかった」「ちょっとピノキオになっていた(調子に乗っていた)」と感じます。
それからは、自分のすべてを見直し、言葉ひとつ、しぐさひとつに意識を払うようにします。
赤坂育子さんの自宅を拝見!結婚した夫はいた?
番組では、赤坂育子さんの自宅も紹介されていました。
そこは置屋(おきや)兼自宅の一軒家で、赤坂育子さんは7人の芸者さん達と生活を共にしています。
みなさん普段からきちんと着物を着て、食事をするときも、仕事から帰って来た時も逐一礼儀正しく挨拶をします。
常に仕草や言葉遣いに気を配って、踊りの稽古などもその置屋兼自宅の中のお座敷で行います。
番組を観る前から「赤坂育子さんに夫はいるんだろうか」という点に興味があったのですが、この生活の中に夫がいるとは思えないですね。
赤坂育子さんにとってプロフェッショナルとは?
自分が選んだ道は最後までやり遂げていくそれで自分なりに満足するそれで周りの人が満足する。
どれだけがんばっても99%で終わってしまう。
人生もそうだよ。
というようなことをおっしゃってました。
「生活すべてが芸者」という言葉は、自宅を置屋にして日常のすべてに神経が行き届いている様子を見ると、納得です。
あとは、全力でがんばっても「これで十分」と思えないというか、思わないのが、赤坂育子さんにとってのプロフェッショナルなのかなと。
80代になってなお「まだまだ」と思ってやり続ける事がすごい。
以上、わたしが調べた赤坂育子さんの情報いろいろでした!