こんにちは!
なおこです。
「悩んでいるがん患者が前向きになるきっかけをつくりたい」というビジョンをかかげて活動する「がんノート」というNPO法人があります。
現在、日本人の2人に1人ががんになると言われてますよね。
わたしの周りもがんを患った人は本当に多いです。
じつは、母と妹もがんで亡くなっているので、わたしも将来はがんになる気がしてならないんですよね。
まだ娘が小さいうちにはなりたくないのでできる限り予防したいですが、将来がんになったときに心のよりどころにできるようなNPO法人の存在は今からありがたいと感じます。
今日はそんな「がんノート」の代表、岸田徹(きしだ とおる)さんについて調べてみました。
保険会社のアフラックのCMで、ご自身のがん治療の体験を語っておられたことでも知られている方ですね。
岸田徹さんの経歴や、がんについて、結婚した妻、どんな活動をされているのかなどを調べてみましたよ。
Contents
岸田徹さんの現在は?
岸田徹さんは現在もがんに関する活動を精力的に行っておられます。
今月(2020年1月13)には「AYA世代」と呼ばれる十代後半~三十代のがんについて理解を深める「AYA世代のがんトークイベントIN岐阜大学」で司会を務めました。
https://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20200114/CK2020011402000026.html
岸田徹さんってどんな人?
岸田徹さんのプロフィールや経歴、結婚、がん治療について調べてみました。
プロフィール
名前:岸田徹(きしだ とおる)
生年:1987年
出身地:大阪府
学歴
岸田徹さんの最終学歴は大学卒業とされています。
世界一周旅行をするなど、アクティブな大学生活を送っていたそうですよ。
大学卒業後の経歴
岸田徹さんは大学卒業後、IT関連の会社に就職します。
なんでも「七夕の日は浴衣で出勤するような自由な雰囲気のIT関連企業」だったのだとか。
当時の岸田徹さんは「20代30代は修行して、40代50代で羽ばたきたい、世界を周りながら仕事をしたい」というビジョンを持っていたそう。
入社後は、アポイントメントを取るための電話から契約書作成、相手方との交渉などすべてを基本自分一人でやる部署に配属。
なんとそれは自ら「一番きついところに行きたい」と会社側に直訴して配属された部署なのだそう。
向上心の強い方なんですね!真似できない…一番楽なところに行きたい…
会社から徒歩90秒のところに住み、同僚や上司にも恵まれ、仕事は楽しかったといいます。
2012年、胎児性がんに罹患(がんについては後に詳しく書いています)
2018年、がん保険アフラックのCMに出演
結婚した妻は?
岸田徹さんは結婚されています。
妻となった女性はどんな人なのでしょうか?
がんになった当時、岸田徹さんに恋人はいなかったそう。
がんの患者会の活動を通じて知り合った女性と結婚されたのだそうですよ。
妻もがん治療の経験者だそうなので、病気や治療の辛さを理解し合える女性といえるかもしれません。
じつは岸田徹さんは手術でおなかのがんを取った時に射精神経が傷つき、妊娠に結びつける能力がなくなっています。
治療を始める前に医師から妊よう性(子どもをつくる能力)が失われる可能性があることは説明を受けていて、精子の凍結保存はしていたそう。
一般的な夫婦より、いろいろな困難を感じながらも支え合っているであろうおふたり。
心身ともに穏やかに過ごして行かれるといいですね。
がん発覚から治療の経緯は?
社会人2年目、全身にがんがあると診断されてしまう岸田徹さん。
がんが発覚するまでの経緯は以下のようなものでした。
がん発覚
社会人2年目の3月、首にぽこっとスーパーボール大くらいの腫れものができる。
近所のクリニックに行ったら、風邪という診断で葛根湯を処方される。
その年の5月の会社の健康診断でも結果は問題なし。
秋ごろから週に1回以上体調を崩すようになり、再度クリニックに行ったら「もしかしたら首の腫れが悪さをしているかもしれない」と大学病院を紹介される。
大学病院で検査後、がんの疑いがあるということで、がん専門の病院を紹介される。
そこで「残念ながら首だけでなく、全身に広がっている」と宣告を受ける。
その時点で首、肺と肺の間、腸のまわりにもがんが転移していた。
がんだったのに「他の病気と診断された」「検診を受けていたのに見付けてもらえなかった」という話はたまに聞きますよね。
もちろん、検診で早期発見できたというケースもたくさんあるのでしょうが…。
5年生存率は50%と言われて…
医師に、5年生存率は五分五分と言われた岸田徹さん。
ご両親は「この世の終わりのような」表情をされていたといいます。
そりゃそうですよね。
子供が重い病気だと知らされたときの親のつらさは計り知れないと思います…。
岸田徹さん自身も少しの間落ち込みはしたものの、「これだけ転移して五分五分ならまだ何とかなるかもしれない、治療に励もう」と考えたと言います。
元々向上心が高くポジティブな人柄で、困難を乗り越える力があったのかもしれませんが、死が身近に迫っているというのはもう困難の次元が違うと思うんですよね。
それでも前向きさを失わなかった岸田徹さん、すごい人です。
引用元:https://www.aflac.co.jp/gan/yokuwakaru/article/page63.html
どんな治療をした?
岸田徹さんは抗がん剤治療と外科手術でがん治療をしたそうです。
抗がん剤治療では髪の毛が抜けてしまったそう。
これも辛いですよね。
医師の中にはアピアランス(外見)をサポートしている先生もいるそうで、ウィッグの相談にも乗ってくれたのだそうですよ。
がん治療におけるアピアランスには、肌の色の変化や手術跡、部分欠損なども含まれるのだそう。
そういう相談にお医者さんが乗ってくれるとは、知りませんでした。
大きすぎて摘出できなかった腫瘍も、抗がん剤が効いて小さくなったので、手術を受けることができたといいます。
手術は10時間を超える大変なものでした。
再発も経験
その後、岸田徹さんは精巣にがんが再発してしまいますが、手術で治療することができたそうです。
そしてなんんと岸田徹さんのお兄さんもも同じ精巣腫瘍になってしまったのです。
アフラックCMに出演している岸田徹さんですが、実はがん保険には入っておらず、退院後お金に困ることになります。
しかしお兄さんには親御さんがアフラックのがん保険をかけていて、保険金がもらえたそう。
兄弟間の格差を感じたのだそう。
それは確かに悲しい…
ご両親、忘れちゃったのかな…?
退院後の生活も大変…
岸田徹さんは一年半の休職後に復帰したものの、頑張りすぎて体調を崩し退職することになったのだそう。
社会人2年目で貯金もなく、消費者金融に頼ること考えるほどに。
結局は親御さんやお友達にお金を借りて、家賃も3万5千円のアパートに引っ越します。
病後の体を大事にしたいところに、風呂なしエアコンなしの暮らし。
数か月に一度の大きな検査は4~5万円かかることもあり、検査前は一日一食にして切り詰めるなどしていたそう。
病気の後遺症もあるなか、お金、仕事のことを考えなければならず、がんになったことが退院後の生活にも大きく影響してしまったんですね。
NPO法人「がんノート」ではどんな活動をしている?
さらに15歳~39歳までのAYA世代と呼ばれる世代があります。
このAYA世代の人達が希少ながんにかかった場合、情報が少なく困っている状況にあるのだそう。
そのような人たちのために、がん経験者同士の情報交換の場をつくるのも「がんノート」で岸田徹さんが行っている活動の一つ。
がん経験者をインタビューしウェブで生配信を行っているのだそうですよ。
進学、就職、結婚、出産とライフスタイルが変わっていく時期でもあるため、その世代ならではの悩みが生まれることにもなります。
20代で就職したばかりのの頃がんになった岸田徹さんならではの経験の一つが、前述のような退院後の苦労。
同じような大変な状況にあるひとが、一人で悩まずにしたいという気持ちもあったのでしょうね。
以上、わたしが調べた岸田徹さんの情報いろいろでした!