吉田吉蔵(吉田カバン・創業者)の記念館とは?息子は誰?生い立ち・経歴や「一針入魂」の精神とは?

こんにちは!

なおこです。

 

今日は

「吉田カバン」の創業者

吉田吉蔵(よしだ きちぞう)さん

について調べてみました!

吉田吉蔵さんの

  • 生い立ちや経歴
  • 息子は誰?
  • 吉田吉蔵記念館とは?
  • 「一針入魂」の精神とは?

などを調べてみました!

ぜひ、読んでみてください!

<もくじ>

  1. 吉田吉蔵さんの生い立ちや経歴!
  2. 吉田吉蔵さんの息子は誰?
  3. 吉田吉蔵記念館とは?
  4. 吉田吉蔵さんの「一針入魂」の精神とは?

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吉田吉蔵さんの生い立ちや経歴!

出典元:吉田カバン

吉田吉蔵(よしだ きちぞう)さん

(1906年-1994年)は

神奈川県寒川町に生まれました。

 

1918年、

12歳という若さで上京。

カバン屋さんで丁稚奉公を始めます。

厳しい徒弟制度の中で

針と糸で手縫いをするという技術を

身につけたのだそう。

 

1935年、

東京・神田須田町に吉田鞄製作所を設立。

 

1939年-1945年、

第二次世界大戦の間、

吉田吉蔵さんは倉庫に道具を隠し、

徴兵から戻ってすぐに

仕事を再開したといいます。

 

1951年、株式会社吉田に改組

会社の場所を

場所を現在本社のある東神田に移転します。

 

1953年、

「エレガントバッグ」の大ヒット。

今では一般的ですが、

この「エレガントバッグ」の

最大の特徴である

ファスナーの開閉により

マチ幅が変えられる機能は

吉田吉蔵さんが開発したのだそう。

 

1960年、

吉田吉蔵さんが結婚された時期は不明

ですが、

この年、長男の滋さんがイタリアに

留学したと紹介されていました。

当時は海外旅行など夢の時代。

吉田吉蔵さんのカバンへの情熱を

感じさせますね。

 

1962年、「PORTER」ブランド発表

 

1976年、

「勲五等双光旭日章」を受章

 

1984年、

「LUGGAGE LABEL」ブランド発表

 

1985年、

吉田吉蔵さんは社長職を退き、

長男の吉田滋さんが、社長就任。

 

1994年、

ファッション関係者に贈られる

「ミモザ賞」を受賞されるとき、

吉田吉蔵さんは受賞者欄に

職人さんの名前を入れることに

こだわったといいます。

表彰楯には

「吉田吉蔵氏並びに吉田カバンの職人衆殿」

記されているのだそう。

素敵ですね!

 

そして同年、

88歳で亡くなられました。

カバンに情熱を捧げた人生

だったのでしょうね。

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吉田吉蔵さんの息子は誰?

吉田吉蔵さんの

息子さんは調べた限りでは

以下のような方々です。

 

長男:滋さん(二代目社長)

次男:輝幸さん(三代目社長)

三男:克幸さん(衣類バッグメーカー

ポータークラシックの社長)

 

そして、

次女が野谷久仁子さんという

バッグデザイナーだそうなので、

娘さんも少なくともお二人

おられることがわかりました。

吉田吉蔵記念館とは?

浅草に「吉田吉蔵記念館」

あるのだそうですよ。

 

ここは、吉田吉蔵さんが晩年

経営の一線を退いた後に、

自身の修行時代に培った技術で、

手縫いによる鞄づくりに勤しんだ

場所なのだそう。

本当にカバン作りがお好きだったんですね!

素敵です…!

出典元:Instagram

過去のイベントでは

吉田吉蔵さんのアトリエを再現し、

展示したこともあったようですよ。

道具なども展示されていますね。

 

吉田吉蔵記念館 詳細情報

 

場所:東京都台東区今戸1-4-7

 

電話番号:03-3876-4655

 

営業時間:火~土  12:00~17:00

 

次女の野谷久仁子さんが

吉田吉蔵記念館の2階スペースをアトリエとし、

革手縫いの教室を運営しているという

情報もありました。

 

ただ、

吉田吉蔵記念館で検索すると

過去のイベントの情報はあったものの、

今現在の情報はあまり発信されていない

印象でした。

訪れる前に電話で

確認した方がいいかもしれません。

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吉田吉蔵さんの「一針入魂」の精神とは?

吉田吉蔵さんが掲げた

株式会社吉田の社是は「一針入魂」

 

12歳からカバン屋に丁稚奉公し、

針と糸で手縫いをするという技術を

身につけた吉田吉蔵さん。

今は当たり前に手に入る専用の針でなく、

普通の太い木綿針で皮を縫えるほど

高い技術を持っていたと言います。

 

手縫いのメリットとしては、

革の両側から2本の針で

縫っていく製法で、

ミシン縫いとは違い、片方の糸が

切れてしまっても

ほどけることはないことだそう。

 

晩年には自身のアトリエで

手縫いのカバン作りに勤しみ

「吉田カバン」にも

革手縫いを残していくことが

吉田吉蔵さんの希望だったほど、

一針一針仕上げていくことを

大事にされていたんですね。

その現れが「一針入魂」という

言葉だったのでしょう。

 

そして

『職人を絶やすな』という

遺言を残したという吉田吉蔵さん。

手縫いを残していくためには

手縫いの技術を持っている

日本の職人さんを守ることも

必要ですもんね。

 

吉田吉蔵さんは

独立して社長になっても

いつも職人さんには

温かい気持ちを持っていたのだそう。

 

職人さんへの賃金の支払いが

現金だった時代には、

精をつけて暑い夏を乗り切ってほしい、

寒さでかじかんだ手を暖めてほしい

という思いで

夏には米を、冬には炭を必ず添えて

いたといいます。

職人さんも、働き手として

「とても大切にされている」と

感じることができたでしょうね。

温かい人柄を感じます。

 

吉田吉蔵さんの次男で

現在社長の吉田輝幸さんは

「今後も吉田カバンは世襲制を

とっていく」

語っておられましたが。

「国内生産」「職人を絶やさない」

などの父吉田吉蔵さんの想いを

受け継いでいくには、

世襲であることが必要だと

感じているのかもしれませんね。

吉田輝幸(吉田カバン・社長)の経営理念や経歴は?息子が次期社長?兄弟もすごい!

 

以上、

わたしが調べた吉田吉蔵さんの

情報いろいろでした!

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