柾屋美緒(まさや みお)は普代村で唯一の医師!経歴・学歴や年齢も!【たけしの家庭の医学】

こんにちは!

なおこです。

 

岩手県の普代村(ふだいむら)では、たった一人のお医者さんが約2600人の村民の健康を支えておられます。

その医師の名は柾屋美緒(まさや みお)先生

この方、穏やかで優しそうなうえに、すごい美人なのですよ…。

若くして普代村唯一の医師になり、岩手県を含む東北を襲った震災も経験したすごいお医者さんでもあります!

 

今日は柾屋美緒先生医師を目指したきっかけや、学歴経歴年齢などをまとめてみました!

 

2019年12月放送の『たけしの家庭の医学』を観て、柾屋美緒先生のお仕事の大変さや、再婚・妊娠された情報などを追記しています!

ぜひ、読んでみてください!

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普代村ってどんなところ?

普代村は岩手県の下閉伊郡にある、人口約2600人の村です。

北三陸のリアス式海岸を含み、海と山に恵まれた土地です。

 

東日本大震災では、防潮水門が大津波から村を守り、住宅の浸水はなかったのだそうですが、水門の下流側で水産加工場が全壊するなど、漁業施設に大きな被害がありました。

美しい海岸沿いを走る三陸鉄道北リアス線は、震災で甚大な被害を受けながらも復活したことで復興のシンボルとして愛されているそうです。。

 

震災を経験した普代村ですが、今年(2019年)には台風19号でも住宅に土砂が流れ込むなどの被害があったそうです。

今は住民のみなさんは心穏やかに暮らすことができているんでしょうか…。

一日も早い復興をお祈り申し上げます。

柾屋美緒(まさや みお)先生ってどんな人?

柾屋美緒先生が医師を目指したきっかけや、学歴経歴などがわかりましたよ。

プロフィール

Profile

名前:柾屋 美緒(まさや みお)

出身地:岩手県 普代村

年齢は?

柾屋美緒先生、お肌もキレイで女優さんみたいに綺麗な方ですが、何歳くらいなのでしょう。

 

後述の経歴でも書いていますが、28歳の時に普代村に戻った柾屋美緒先生。

その直後に2011年の東日本大震災が起こったそうなので、30代後半であろうことが想像できますね。

※テレビ番組出演時、37歳と紹介されていました。(2019年12月現在)

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離婚歴ありで子供は何歳?

柾屋美緒先生には子供さんがおられます。

2019年12月現在、息子の慎太郎くんは9歳

 

柾屋美緒先生は普代村に赴任が決まった後、当時の夫と疎遠になり離婚。

当時慎太郎君は生後9か月だったのだそうですよ。

 

柾屋美緒先生のお母さんが子育てをかなり担っているそうです!

「将来は医師になりたい」という慎太郎くん。

お母さんの背中をみて育ってますから、人に優しくできる人に育っていくでしょうね。

柾屋美緒先生は再婚していて妊娠中!

柾屋美緒先生は岩手県久慈市に住む医師、礼さんと再婚。

普段は慎太郎くんも柾屋美緒先生も普代村で暮らし、週末だけ家族で過ごすという生活を送っているのだそう。

赤ちゃんは2020年1月出産予定とのこと。

産後は休暇を取り、その間は岩手県立病院の医師が応援に来てくれるのだそうですよ。

それでも、自分がいない間の患者さんたちのことを心から案じている様子の柾屋美緒先生。

本当に優しい方なんですね。

元気な赤ちゃんが生まれますように!それにしても、ゆくゆくは診療所に医師が増えるかなにかして、柾屋美緒先生の負担が減るといいですよね…。

医師を目指すきっかけは?

現在、普代村唯一の医療施設、普代村診療所の所長を務める柾屋美緒先生。

少し意外ですが、ご家族や親族に医療従事者はいないそう。

そんな柾屋美緒先生が医師を目指すきっかけはなんだったのでしょうか。

 

柾屋美緒先生が医師を志すようになったのは小学5年生の時。

大好きだった祖父の死がきっかけだったのだそう。

お祖父さんは末期の食道がんで、治療による副作用で苦しみながら亡くなってしまいます。

 

柾屋美緒先生は「おじいちゃん子」で、字や時計の読み方もお祖父さんに教えてもらったほどなのだとか。

そんなお祖父さんの最期を見て、「祖父らしい最期だったのかと悔しい気持ちになった」と語っておられます。

お祖父さんのこと、本当に好きだったんですね。子供の頃から優しくて賢かったであろう柾屋美緒先生のことを、お祖父さんも可愛くてしかたなかったでしょうね。

 

その出来事を経て、ホスピス(緩和ケア)ドクターという職業に興味を持ち、医師になりたいと考えるようになったのだそう。

 

くわえて、現在所長を務める普代村診療所には、柾屋美緒先生自身が子供の頃からお世話になっていて、地元の診療所の重要性は感じていたそう。

なにせ、住民のみなさんにとって普代村診療所以外でもっとも近い病院は車で40分もかかるというのですから。

過疎化や高齢化で無医村になってしまう可能性があった普代村のために、「医師になったらこの診療所に戻ってくる」と考えていたといいます。

柾屋美緒先生、きれいな上に優しい人ですよね…。

 

こちらの緩和ケアの医師の記事もお勧めです。

学歴

柾屋美緒先生の最終学歴がわかりました。

岩手医科大学を卒業

経歴

岩手医科大学卒業後の経歴は以下のように紹介されていました。

臨床研修医として2年間勤務。

 

岩手医大の糖尿病代謝内科で1年間勤務。

 

28歳の時、生まれ故郷の普代村に戻る。

普代診療所 所長に就任。

28歳の若さで、自分以外に医師のいない普代村に戻ったというのがすごいですよね。

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柾屋美緒先生の仕事がすごい!

村の唯一の医師として働くことがどんなに大変かが伺える情報をまとめてみましたよ。

『たけしの家庭の医学』を観て、いかに先生の仕事がすごいか更にわかりました!

普代村で唯一の医師!

普代村診療所は普代村の唯一の医療施設

住民にとって普代村診療所以外でもっとも近い病院は「久慈病院ですが、そこまで行くのには車で40分もかかってしまうのだそう。

 

そして、柾屋美緒先生はそんな普代村診療所たった一人の医師なのです。

そのため、診療科目は内科、眼科、小児科、整形外科、神経内科、泌尿器科など多岐に渡るそう。

レントゲン技師がいないので自らレントゲンを撮り、薬剤師もいないので調剤も自ら。

診察室と他の部屋を行ったり来たりで本当に大変そう!

病院に来ることができない高齢の患者さんには週に一度往診もされているので、想像を絶する忙しさだと思います・・!

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医師になった直後に東日本大震災を経験

そんな柾屋美緒先生でも、最初は「自分にできるのだろうか」という気持ちもあったと語ります。

しかし、28歳で普代村に戻った直後に東日本大震災が起き、「やるしかない」と、不安を感じる暇もなかったといいます。

そこまでできるのは、先生の優しい人柄なのか、故郷のためを思う使命感なのか…。困難を乗り越えてきた生き方がかっこいいです。

 

患者さんたちは、柾屋美緒先生のことを「普代村を背負っている先生」と言っていました。

子供や高齢の患者さんにも、同じ目線で語り掛けるような柔らかい物腰が印象的でした。

こういうお医者さんが常に近くにいてくれたら心強いですよね。

 

以上、わたしが調べた柾屋美緒先生の情報色々でした!

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